連日の気温が30度を超えるという真夏日のある日、江井島を訪れた。海水浴に来た訳ではない。海水浴客で賑わう江井島海水浴場を見ながら、炎天下に黒尽くめという出で立ちの私は、海水浴場を通り過ぎその西にある江井島港へと向う。 江井島港の生みの親であり、また江井島という地名の起源にも係わる行基菩薩の碑を訪ねるためだ。 昼時を過ぎた漁港は静かで人の姿も見えない。あたりを散策して、ようやく庭の花の水遣りをしていたご老人を見つけ、石碑の場所を教えてもらう。 港に注ぐ小さな川にかかる橋を渡り、作業場か倉庫のような建物の間を抜けて港に出るとすぐ目の前に大きな石碑が建っていた。石碑に刻まれた「御崎地蔵大菩薩、行基大菩薩」の文字は、江井島の港を開いた僧行基と、行基が港の安全を祈願して建てたと言われる地蔵菩薩を祀ってあるのだろう。先にも少しふれたが、江井島港の起源は古く奈良時代にまで遡るといわれ、行基が播磨五泊の一つとして築いた事に始まるという。 冬の播磨灘は季節風が激しく、ここを行き交う船が幾度となく遭難していた。その事を知った行基は船の一日の航路上に五つの港(泊)を築き、船の航行の安全をはかった。その行基の作った五つの港の一つがこの江井島だという。 行基が村人に呼び掛け港の建設が始まると、何千人もの人々が行基の許に集まったという。村人達は行基のもと一つになって波止(防波堤)を築くのだが、潮の流れの速いこの辺りでは流される事も一度や二度ではなく、壊れては築くという作業が何度となく繰り返された。それでも行基と人々の願いが通じたのであろう、天平6年(744)遂に港は完成した。 港が完成すると、行基は港の安全を守る地蔵菩薩を彫り、一晩中村人達と共に神仏に祈りを捧げていた。 すると、沖合いから二畳(約 1.8メートル四方)ほどの大きな赤鱏(あかえい)がこちらに向ってやってくる。村人の中には気味悪がってそのエイを追い払おうとしたりする者もいたが、行基はこれを見て、これは仏様が港の完成を祝ってお遣わしになったに違いないと、この鱏に酒を振舞い沖に帰してやった。 それ以来、ここを「鱏が向う島」ということから、「鱏向嶋」(「鰈向嶋」とも)と呼ぶようになったのだという。 行基の位牌を安置する長楽寺の仏具には「鰈向嶋玉林山長楽寺」の銘が残されており、港には上人さんの波止、行基大菩薩の大きな石碑などがある。 今も決まった日には近所のお年よりの方達が集まり、この碑にお参りをしているのだと、先ほどの道を教えてくれたおじいさんは話してくれた。
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