ふ じ の も り
藤 の 森
(兵庫県丹波市)


藤の森跡 兵庫県明石市から京都府舞鶴市に伸びる国道175号線。この国道175号線が氷上郡(現 丹波市)市島町を通る辺りに、かつて「魔のカーブ」と恐れられたカーブがあった。
ここには通称「藤の森」と呼ばれる小さな森があった。この森は広さが6坪(約 20m2)ほどで、大きな榎の古木が枝を四方に張り、昼でも薄暗く、この古木に藤が絡み付いているのだ。
この木の枝が国道のカーブのところに張り出しており、見通しが悪いため交通事故がよく起こっていた。
また、深夜に自動車でここを通ると、わけもなくハンドルをとられてしまうという話もあった。そして、何故か藤の木が緑の葉をつける5月になると、正面衝突や追突事故が多発した。

昭和48年(1973)10月15日、ドライバーの苦情が相次いだため、地元の警察と土木事務所が現地を訪れ調査した結果、木の枝をはらうことになり、その旨を町役場に伝えた。
ところが、枝を切るなどとんでもないとその日のうちに地元の人の猛反対にあった。昔から「木を切ると災難が訪れる」と言い伝えられてきたからだった。

事実、昭和17年(1942)の国道改修工事の折、村の助役が人々の止めるのも聞かずカーブの所にあった無縁墓地を埋め立て、この藤の木を切って国道を拡張しようとした。すると、この助役は枝を切った数日後に突然原因不明の急死を遂げ、この工事に携わった者はみな全身が紫色に腫れ上がったという。さらに、その直後に近くの家に火事が起き、30戸ほどが延焼してしまった。
戦後には、村長が枝を切るとその夜から高熱をだして苦しみだし、さらに彼の妻と息子が相次いで急死。その直後にまた火事が起き、10戸ほどが焼けてしまった。
昭和27年(1952)、そんな話を信じない1人の電気工事夫が電気工事のため木に釘を打ち付けたところ、数日後に感電死した。

これだけの強い怨念はいったい何処からやってきたのだろう…
それについては、古く戦国時代にまでさかのぼると言われている。

藤の院 当時、この付近には赤井忠家の拠る黒井城があり、城には井戸が無かったことから秘密の水源から水を引いていた。
天正7年(1579)8月、明智光秀に攻められた時、水路を断たれ黒井城は落城してしまった。
落城した時、秘密の水源の所在が明智方に分かったのは密告者が居たからに違いないと思い込んだ黒井城の残党は、密告者探しに血眼となった。そして、紀州(現 和歌山県)から鉱山掘りにきていた橋爪夫妻にその疑いがかけられた。2人は無実であったにもかかわらず、生き埋めにされ殺されてしまった。

その場所がこの藤の森であると伝えられており、中には墓石のような大きな石が置かれていたという。
いつしかそこに榎の木が生え、藤が巻きついていったという。殺された橋爪夫人の名は「ふじの」と言っていたという。

問題の「藤の森」を探して市島町内を走るが、一向にそれらしい森(巨木)は見えてこない。
通行の妨げになった程だからすぐに分かるだろうと思っていたのだが、一向にそれらしい物は見当たらない。
周辺を尋ね歩いてみるが、そんな大きな木は見たことがないと言われる。
辺りを探すと同町矢代のあるお寺(注1.)に年配の方(ご住職?)が居られたので尋ねてみたところ、お話を伺う事ができた。
お教え頂いた話によると、かれこれ30年程前(昭和48年)に藤の森は撤去され、跡地には慰霊のための「藤乃院」と名付けられた小祠が建立されたということだった。
なるほど、30年近くも前に撤去されたのなら探しても見付かるはずもない。
魔のカーブは現在直線道路に整備され、国道175号線を行き交う車の喧騒の中、車道の傍らに藤乃院(小祠)がひっそりと忘れ去られたように佇んでいる。
こうして、タタリの藤の森の話もやがて人々の記憶からも忘れ去られて行くのだろうかと思うと、少しやりきれない気持ちがした。

藤の森 : 兵庫県丹波市市島町北岡本 

参考資料 : お寺の方よりお聞きした話
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注1. 探訪時(平成15年)に書いた時は「同町矢代のあるお寺」と記していたが、同町北岡本の大乗寺と思われる。

#タタリ