遥か昔、天空より火の雨が降り注いだことがあったという。降り注ぐ火の雨はすべての物を焼き尽くし、あたり一面は焼野原となっていった。人々は驚き、嘆き叫びながらも、その火の雨を避けるために石で造った家に隠れ住み、火の雨が治まるのを待ったという。 その時の石の家といわれるものが兵庫県神戸市の舞子墓園や高塚山に今も残っている。 舞子墓園内に残るこの石窟については、地誌『播磨鑑』に「石窟 在多聞村 号高塚 又陣屋(注1.)共云 其製畳石如洞 俗伝云 昔日火雨降是設立 按 往古之民家為住居」(石窟 多聞村に在り、高塚という。また陣屋ともいう。畳の様な石で洞穴の様に造られている。言い伝えによると、その昔、日の雨が降った為にこれを造ったという。考えてみるに、古代の住居ではないだろうか。)とある。 しかし、これらの石の家と呼ばれる物はかなり大きな石を組んで造られている。いくら火の雨が降り注いで来たからといって、にわかにこれだけの石の家を造れるものだろうかという疑問は否めない。 そこで、ある人の曰くは、この(高塚山の)石の家はかつて神々が住まわれていた家だったというのである。巨大な石で造られた窟(いわや)のような家は、確かに人間の造ったものとは考えられなかったのであろう。神戸市の篠原(兵庫県神戸市灘区篠原界隈)にかつて在った鬼塚と呼ばれる塚も、中には同じような巨大な石で造られた家があり、これは鬼の住処だと伝えられていた。 さらに時代は下り、高塚山の石の家は山賊の隠れ家だったという言い伝えも残っている。 高塚山の石の家に山賊が隠れていたか否かは定かではないが、兵庫県三木市の志染の石室(しじみのいわむろ、窟屋金水とも)の傍にあった石の家は実際に盗賊がここに隠れていたらしく、その為これを取り壊し、細目村(現 兵庫県神戸市西区押部谷町木津付近)の南にある壇大敏(かちおおとし)神社(注2.)の境内に以前の形に小さく築き直したという話が『明石名勝古事談』に見られる。
さて、諸説が交錯する石の家だが、本当の所は古墳の石室である。
注1. 陣屋 : 平安時代には宮中警護の衛士(えじ)の詰所、中世では合戦の際に兵の駐屯する軍営、江戸時代は大名(藩)の藩庁が置かれた屋敷などを陣屋と称した。 『播磨鑑』では、その石造りの姿から「陣屋」という言葉を「砦」(近世のトーチカを想像して頂くと分かりやすいと思う)といった意味合いで使っていると思われる。 『精選版 日本国語大辞典』(小学館)によると、墓地、墓所を意味するともあり、謡曲『山姥』の「寒林に骨を打つ、霊鬼泣く泣く前生の業を恨み、ぢんや(陣屋)に花を供ずる天人、返すがへすも帰性の善を喜ぶ」というくだりを紹介している。 注2. 木見(こうみ)大年神社(兵庫県神戸市西区押部谷町木見355)のことか?
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