
昔、播磨国美嚢郡吉川(よかわ)庄(現在の三木市吉川町)に裕福な地主がいた。
そこの一人娘のお光は長い黒髪をした美しい娘だった。二、三年前からお光は夏の盛りの昼寝時になると一人で何処かへ出かけて行くようになった。そのことを奇妙に思った家族がお光に訊ねても、お光はただ黙っているばかりだった。
ある夜の事、母親がお光の部屋を覗くとお光の背中やわき腹に鯉のような鱗が生えているのを見てしまう。
驚いた両親がお光を問いただすと、お光は
「このような体になった今、人に知られるのも恥ずかしく隠しておりましたが、知られてしまった以上この家にも居られません。永い間のご恩もお返しせぬままに申し訳ありませんがどうか行く先は聞かないでください。」
とただただ泣き伏すお光を囲んで、両親も思案に暮れるばかりだった。
その日の夜、人知れずお光は夜の闇に紛れていずこえともなく消えてしまった。
それから二年、三年と月日は流れ、人々の記憶からお光のことも忘れ去られていた。
そんなある日のこと、誰言うとなくお光は摂津の箕面の滝(大阪府箕面市)に居るという噂が聞こえてきた。
母親はとるものも取り敢えず摂津の国箕面の滝を訪ねて行った。
空から白い布を垂らしたように音を立てて水が飛沫を上げながら滝壺へと流れ落ちている。母親は滝壺に向かって声を限りに
「お光、お光よー。」
とお光を呼んだ。すると激しく水が落ちては水飛沫が霧となって立ち込める滝壺の向こうに、家を出た時の姿そのままのお光が現れた。お光は
「今は龍神様からありがたい教えを受け、現世の苦悩を解脱(げだつ)し、天上界に行ける日も近付いております。この度だけお許しを頂きこうして会いに来ましたが、もう二度と来てくださいますな。これが最後でございます。」
そう言い終えるとお光は消えるように姿を消してしまった。
必死で追いすがる母親の声だけがいつまでも滝の音にかき消されながら箕面の山に響いていた。
泣く泣く実楽の里(じつらく、現在の吉川町実楽)に戻って来た母親だが、愛娘のことをどうして忘れられようか。諦めきれない母親はふたたび箕面の滝を訪れ、
「お光よー、実楽から来たんだよー。」
声を限りにお光の名を呼んだ。しかしいくら呼べど叫べど、母親の声はむなしく箕面の山にこだまするばかり。
すると、突然これまで静かだった山の峰が台風の様に木々が大きく揺れ、滝も大きな音を立てて鳴り出した。激しく落ちる滝の水が水煙を上げる中、大木の根のような大蛇が爛々と目を光らせ、口からは真っ赤な舌を火焔のように出しながら母親をに睨んでいるではないか。その勢いたるや谷間の岩も音を立てて崩れ落ちんばかりに鳴動している。
あまりの恐ろしさに母親は魂も宙に転がる様に山を下りて行った。
そんな事があって以来、吉川谷の人々は箕面の滝に行っても、「実楽やー」と言ってはいけない。滝が荒れて大変なことになると恐れたという。
娘が竜になるという昔話は、秋田県仙北市の田沢湖(変わることない美しさを願ったばかりに、辰子という娘は竜になった)、宮城県仙台市の橋姫明神(広瀬橋の人柱になった長者の一人娘愛姫は金色の龍となった)、大分県豊後大野市の沈堕(ちんだ)の滝(早吸日女神社の神主の許に恩返しに現れた娘(蛇の化身)は、滝の主を倒し竜となった)などが伝えられている。
伝承地 : 兵庫県三木市吉川(よかわ)町実楽(じつらく)
| 参考資料 : | “郷土の民話”東播地区編集委員会編. 郷土の民話 東播編. 兵庫県学校厚生会, 1971 |
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