
鏑射山(標高327m)の山頂近くに聖徳太子の開基と伝える独鈷山鏑射寺(どっこさん かぶらいじ)がある。
鏑射という名の起こりは、古い記録によると「聖徳太子、蝦夷
(注1.)を伐たるるとき、鏑矢
(注2.)を射られし所なりとてこの名おこる」とあり、聖徳太子がこの山に陣取り蝦夷征伐の鏑矢を射たので鏑射山と言うようになったと説き、鏑射寺に伝わる古文書には、「(聖徳)太子が蝦夷征伐し給いし時の鏑矢の当寺に伝来するをもって鏑射の名あり」として、聖徳太子が蝦夷征伐の時に放った鏑矢が当寺に伝来したことから鏑射の名が付いたと説いている。
明治維新の時、廃仏毀釈(注3.)という風潮の中、鏑射寺は天誅組に火をかけられ焼失する。
天誅組とは三田九鬼藩の若い不逞武士たちの集まりであった。
しかし、このままでは終わるはずなどなかった。霊場に火を放った者の末路を、古い記録はこう記している。
「仏罰厳然」「其の暴徒(天誅組)はいずれも日ならず或は躄(いざり)となり、或は盲者となり唖者となる」
鏑射寺に火を放った天誅組の連中は、仏罰が下り、日を置かずして、ある者は歩く事が出来なくなり、ある者は失明し、ある者は話す事が出来なくなったという。
鏑射寺 : 兵庫県神戸市北区道場町生野1078-1
注1. 蝦夷(えみし) : 古代の奥羽から北海道にかけて住み、言語や風俗を異にして朝廷に服従しなかった人々。
注2. 鏑矢(かぶらや) : 鹿の角や木で作られた中空の蕪(かぶら)形をしたものに穴の開いた鏑(かぶら)と呼ばれるものが矢じりの後ろに付いた矢。射ると音が鳴ることから主に合戦の合図などに用いられた。
注3. 廃仏毀釈(はいぶつきしゃく) : 慶応4年(1868)3月13日、大政官布告で神仏分離令が公布されたことを機に全国的に広がった仏教の排斥運動。字のごとく、仏を廃し、釈尊を毀(こわ)すという意味。
これにより、多くの寺院や仏像が破壊され、また火を放たれ、僧侶という職業の存在は認められず、僧侶たちは一般の納税者としての義務を課せられた。
| 参考資料 : | NHK神戸放送局・姫路放送局編. 兵庫史を歩く. 神戸新聞出版センター, 1981 ほか |
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