すっぽこ


すっぽこ イラスト:寝子様 南北朝時代(1336~1392)、河内神社の北にある小さな沼の中にある岩室に「すっぽこ」と呼ばれる妖怪が棲み、毎年7月14日になると神託と偽り氏子八ヶ村の家の屋根に白羽の矢を立て、これを当屋として若い娘を人身御供にとっていた。
村の人々は次は誰の家かと不安な毎日を送っていた。しかし、もし逆らおうものならばたちまちに神罰が下り凶作、洪水、凶事などが起こるとして、人々は悲しみに暮れながらも神罰を恐れ、仕方なく毎年人身御供を差し出していた。
嘉慶元年(1387)のある日、人々の祈りが通じたのか、嘆きが届いたのか、河内国より枚岡八幡宮(東大阪市)の神霊が当地に飛来し、妖怪すっぽこを退治した。退治された妖怪の正体は何年もの歳月を経た大きな鼈(スッポン)だったといい、それ以来、この地より人身御供の風習は無くなったという。

この事があって以来、河内国枚岡八幡宮の神徳を称え、この地に祀られていた「八幡大神」は「河内神社」に改称されたと伝えられる。
これは河内神社に伝わる話で、妖怪を退治したのは六部(注1.)であるという話もある。
それによると、行脚中の六部がこの村を訪れた時、村人の難儀を知り妖怪退治をかって出たというものである。この時、妖怪を退治した六部は妖怪の毒気にでも当てられたのだろうか、鉦を叩きながら牧村の角鼻という所まで来た時に力尽きたといわれる。

妖怪が棲んでいたといわれる岩室 かつて、河内神社にはこの伝説に由来する「すっぽん踊り」というお盆の行事が行われていた。
現在踊りは無くなってしまったが、今でも毎年7月14日(現在は8月14日)になると、牧村(当時)の角鼻、沢ノ口、竹ノ内、樋口、南、麦子、谷口のそれぞれの集落から子供が二人ずつ参加し、集落の代表立会いのもと、河内神社にて神職が祈祷献饌の後、角鼻の鉦を先頭に、他の集落は太鼓を叩きながら神社本殿を右回りに三回、続けて拝殿のまわりを三回まわることになっている。この時、「すっぽこでんや、もうでんや、やぁらん、やぁらん、おんなめざんぶ」(現在は「すっぽんでんや、もうでんや、やあらんやあらん、おんなみだんぶ」)と唱えるのだという。
そして、最後に神社の北にある妖怪が棲んでいたといわれる岩室に行き、お祓いを行い、無病息災、五穀豊穣を祈るのだという。

河内神社を訪れると、確かに神社の北に周囲を小さな堀のように囲まれた大岩があり、その上には小祠が祀られていた。かつて人々を苦しめた妖怪「すっぽこ」も今はこの岩に祀られているのだろう。大岩を巡る小さな堀には水が無くなり夏草が繁っていた。

全くの余談になるが、「すっぽこ」という言葉は、古い関西の言葉では「まぬけ」「要領が悪い」等を意味する言葉として使われていた。また、神戸市垂水区の名谷(みょうだに)などは以前は辺鄙な所であったため、「すっぽこ(=行き止まり)谷の名谷」と呼ばれていた事もあった。

2023.04.23 寝子様(@nekoippaineru)に「すっぽこ」を描いて頂きました。(2023.04.24 掲載)
この場をお借りして、お礼申し上げます。

河内神社:兵庫県たつの市新宮町牧850 

注1. 六部(ろくぶ) :
(1) 六十六部の略。写経した六十六部の法華経を持ち、六十六の国の霊地に一部ずつ納めて歩く修行僧。
(2) 厨子(ずし)を負い、鉦を叩きながら施しを乞い歩く僧。


参考資料 : *****. *****. *****. ****

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