
日本三奇の一つ「石の宝殿」(生石(おうしこ)神社)の南にある竜山(標高92メートル)には、他に類を見ない珍しい姿をした山の主(山の神、あるいは山の精)が住んでいるという話があるらしい。加古川市在住の知人から聞いた話なのだが、教えてくれた方も人づてに聞いた話なので詳しい事は知らないという。
その山の主の姿は、水生昆虫の田鼈(タガメ)のような姿をしているというが先に述べた様に出典などは定かではない。
竜山山頂には戦国時代に魚崎構居(いほざきかまい、いほざきかまえ)が在った。
嘉吉元年(1441)には和木田兵庫介綱忠が城主であったと伝える。後に、志方城主櫛橋氏の幕下として位田(依田)氏六代が在城したが、天正6年(1578)、位田長兵衛が城主の時に羽柴秀吉の播磨平定で落城。後に浮田氏(宇喜多氏か?)に仕えたという。
主郭は山頂にあって、地元ではここを「本丸」と呼び、2段の削平地が残っている。
すぐ西には水の手と思われる小さな池があり、城の侍(城主?)が討ち死にした場所と伝え、地元では「血の池」と呼んでいる。
平成5年(1993)の発掘調査で3間(約5.5メートル)×4間(約7.3メートル)以上の礎石建物跡が検出された。
竜山周辺から産出される流紋岩質溶結凝灰岩は「竜山石」と呼ばれ、古墳時代中期には畿内の権力者の多くの石棺にこの竜山石が使われ、「大王の石」とも称された。
古墳時代から現在まで約1700年間採石され続けており、鎌倉から室町時代には、五輪塔、宝篋印塔、層塔、石仏などに用いられ、県内はもとより大阪、京都にまで出荷されていたった。
江戸時代初期には、姫路城や明石城の石垣などの建築資材として竜山石が大量に使用された。
天保7年(1836)には姫路藩の専売品となり鳥居、燈籠、狛犬から石垣、石段、石臼などに広く利用され全国に出荷されて行った。
近代になると建築資材として盛んに活用され、明治3年(1870)旧造幣局幣鋳造所、大正11年(1922)住友銀行本店ビル、昭和3年(1928)年京都ホテル旧館や旧国鉄大阪鉄道管理局等の外壁として竜山石が用いられた。
山の尾根上には古い時代の石切場の跡が残っており、竜山全体で160箇所以上の採石遺構が存在している。平成26年10月6日付で文部科学大臣は採石遺構のうちの31箇所を国の史跡に指定した。
2023.04.28 寝子様(@nekoippaineru)に「竜山の山の精」を描いて頂きました。(2023.05.16 掲載)
この場をお借りして、お礼申し上げます。
竜 山 : 兵庫県高砂市竜山
| 情報提供 : | T様 / 2003年 |
| 参考資料 : | 平野庸脩. 播磨鑑. 播磨史談会, 1909 |
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