
阿波の国(徳島県)には『狸合戦』の昔話に代表されるように、かつては狸たちが様々なイタズラをしては人々を困らせたり驚かせたり、時には助けたりして人々の生活に深く関わっていた。
美馬郡脇町(現 美馬市脇町)大字脇町から隣村の新町へ行く途中に高須という寂しい場所があった。
昔、そこに「衝立狸」(ついたてだぬき)という狸がいて、夜更けに人がそこを通ると大きな衝立に化けてその人の前に立ちはだかる。大抵の人は驚いてしまい急いで来た道を逃げるように引き返したという。
中には肝の座った者もいて、下腹にぐっと力を入れ、怖じずにそのまま突き進んでゆくと不思議とその大きな衝立は通り抜けることが出来たという。
しかし、大抵の人はこの衝立狸を非常に恐れ、日が暮れてからはここを通る者はいなくなった。
そこで付近の村人が集まり相談した結果、この場所で光明真言を四万八千遍唱えてこの狸を封じ込め、その印として大きな石碑を建てた。
それからというもの、この衝立狸が現れる事はなくなったという。
この石碑は高さが一丈(約 3.3m)もある緑泥片岩(徳島県の特産品、「阿波の青石」)の板石で作られたもので、今も道の傍らに建っているという。
平成13年(2001)の夏のある日、この衝立狸が封じられているという石碑を探しに脇町に出かけた。
脇町界隈で「高須」という地名を尋ねて回ってみたのだが、誰も知らないという。
そこで町役場を訪れ尋ねてみる事にした。役場の方が地図を広げ丁寧に探してくれたのだが、正式な地名ではないのか、そこでも「高須」という場所は分らなかった。そこで、取り敢えず脇町と新町の境にあたる場所を教えてもらい車を走らせる。
暫く行くとそれとおぼしき場所に着く。傍にいたお婆さんに高須という地名をご存じないか尋ねてみると、お婆さんの言うには脇町と新町の境目は確かにこの辺りだが、高須という場所はもっと山の方だということであった。
そこで更に山の方へと進んで行く。すると老人ホームと墓地がある行き止まりのような場所に出た。道は続いてはいるのだが、細い道が山の中へと続くだけだった。
車を停めて周囲を散策するが一向にそれらしい物は見当たらない。周囲には民家も無く尋ねるにも誰もいない。墓地の中をうろうろしたり、山の獣道をよじ登ってみたりするが一向に手掛かりは得られない。
そこで、先ほどの老人ホームで訪ねてみる事にした。ここならお年寄りの方も居られるので何か分るかも知れない、そう思ったのだ。
老人ホームを訪ねると、突然の訪問にも関わらず数名の職員さんが丁寧に対応して下さった。最終的には、地誌まで引っ張り出して調べてくださったのだがそれらしい手掛かりは得られなかった。ただ、そこの理事長さん(?)が教えて下さるには、高須という場所は私が探し回っていたこの界隈ではなく、ここよりももっと山の奥の本当に寂しい所だという事だった。そこは以前火葬場があった場所で、俗に「焼場谷」と呼ばれ、今は火葬場の跡も雑草に埋もれ、この季節はマムシがいるので尚更誰も近寄らな場所だという話だった。
また、別の方の話では、この時期に行くのならマムシがいるから長靴でも履いていないと危ない、行くのなら冬枯れの季節が良いと教えてくださった。
皆さんにお礼を言うと、先ほど見えていた山へと続く細い道を登って行く。細い山道には、道に沿うように地蔵尊が点々と鎮座している。おそらくは道中(山越え)の安全を祈願して建立されたものなのだろう。
教えられたとおりに山道を歩いてゆくと、雑草に埋もれた少し広くなった一角があった。よく見ると確かに火葬場の跡らしき土台の様なものが僅かに雑草の中から見える。
意を決して雑草を掻き分けてゆくが、一向に何も見当たらない。しかも、先ほど聞いたマムシの話が気になりそれ以上奥に進むことは断念した。
高さ3.3mもあるような大きな石碑なら誰かが知っていても良さそうなものなのだが…
はたして衝立狸の碑は何処にあるのだろう。
よくよく考えてみれば、『阿波の狸の話』(1980、笠井新也 著、徳島新聞社 発行)にしろ、『水木しげるの続妖怪事典』(1984、水木しげる 著、東京堂出版 発行)にしても、「この石碑は、高さが一丈」と表現してある。もっとも、水木氏の著書は前出の『阿波の狸の話』をそのまま引用しているのであまり参考にはならないと思われる。
現代において、わざわざ「高さが一丈」と表現しているのは何故か?
それは伝承あるいは古い記録からこの話を起こしたのでは無いかという事である。つまり、著者は現地で現物を確認はしていないのではないかという疑問が生じたのである。
近年、この碑を実際に見た人は居るのだろうか。
脇町から帰ってきて暫くしてからのことだった。件の老人ホームで色々と話を聞いていた時に、通り合わせた年配の男性から「(石碑は知らないが)“ノブス”(注1.)の祠ならあるがなぁ」という話を聞いていたことを思い出しハッとした。
その男性のいわく有名な祠らしく、TV局が取材に来た事もあったと教えてくださった。
そもそも、その“ノブス”というものが何なのかは分らないが、もしかすると「野襖」(のぶすま)、あるいは「野衾」(のぶすま)と何か関係が有るのではないかと思ったのだ。
野襖とは、その昔、土佐国幡多郡(現 高知県幡多郡)に現れた妖怪で、人の前面に壁のように立ち塞がり、その姿は上下左右無限に壁のようであるという。
また、関東地方に現れた野衾はモモンガかコウモリのような出で立ちをしており、ふわりと来て人の目や口を塞ぐという。
江戸時代の奇談集『梅翁随筆』には江戸の神田(現 東京都千代田区北東部)辺りにこの野衾が現れたと記されている。それによると、野衾が猫を捕らえその血を吸っているところを伊兵衛という者が走り寄り打ち殺した。その姿は
「面体いたちのごとく、つまりしやくみ、眼は兎のごとく、左右翅(つばさ)のごとくにして羽にあらず。その先に爪あり、手の指四本、足の指五本、竪横(たてよこ)壱尺二、三寸(36~39センチ)、尻尾その外毛色香(にお)ひとも、栗のごとく」
とある。これこそが深山幽谷に棲む野衾だろうという事になったが、或いはムササビだったのではないかともいう。
また、愛媛の方では「ムササビ」の事を「モノブスマ」といい、山での忌み言葉であるという。
前置きが長くなったが、「ノブスの祠」の“ノブス”とは、土佐国幡多郡に現れたという“野襖”の事ではないのだろうか。さらには、野襖は人の前に壁のように立ち塞がるという所業は、衝立狸に相通ずるものがあるのではないだろうかと考えたのである。
しかし、今となってはそれを確かめる術も無く、何れ時間に余裕が出来た折に再び徳島を訪れて、件の「ノブスの祠」を訪ねてみたいと考えている。
(写真は高須の火葬場跡、通称 焼場谷)
伝承地 : 徳島県美馬市脇町 高須
注1. 「ノブス」という名前は耳で聞いただけなので、或いは間違っているかも知れない。
| 参考資料 : | 『阿波の狸の話』 笠井新也 著 徳島新聞社 発行 (1980) |
| 『水木しげるの続妖怪事典』 水木しげる 著 東京堂出版 発行 (1984) |
2023.04.25 追記
『妖怪事典』によると、著者の妖怪研究家、村上健司氏が現地を訪れて土地の人々に取材したところ、件の衝立狸を封じ込めたという石碑は高須に実在していたが、昭和40年代に盗難に遭ってしまったため現存していないと記されている。
| 参考資料 : | 『妖怪事典』 村上健司 編著 毎日新聞社 発行 (2000) |
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