明石市林崎の北、国道2号線沿いに「和坂」と書いて「かにがさか」と読むところがある。かつては稲荷山と唐熊山に挟まれた坂上寺の山裾を縫うようにして続く険しい道であった。 平安時代の初頭、この坂の深い雑木林に一匹の年を経た古狐が棲んでいた。夜な夜なこの古狐が蟹の面をかぶり道行く人々を襲っていた。 この坂の下には二つ池という大池があり、この池の中にある蟹が岩と呼ばれる大きな岩に巨大な蟹が棲んでいた。 狐の悪行はこの大蟹の耳にも入り、怒った大蟹は狐と戦った。この争い、大蟹が勝ったのだが、今度は勢いに乗った大蟹が驕り、この坂を行き交う人々を襲い始めだした。 そこへ諸国を巡礼していた弘法大師が人々が大蟹に苦しんでいる事を聞き及び、大師はこの大蟹の心を和らげ、大蟹を池の中に在る蟹が岩に封じ込めた。以来、人々は穏やかに過ごす事が出来るようになったという。 その事があって以来、弘法大師が大蟹を封じ込めた岩を「蟹塚」、大蟹が出没していた坂を「蟹和坂(かにがさか)」と呼ぶようになったという。
備考 : 「和坂」と書いて「かにがさか」と読ませる地名は非常に珍しく、その謂れには諸説がある。 古くは、蟹坂、加爾坂とも書かれていたが、『播州明石記録』によると、元和3年(1617)、明石藩が設けられた時に蟹の字を和に変えたとある。 『播磨輿地考』によれば、和坂には上和坂と下和坂があり、「上和坂」(かみわさか)が何時しか「かにがさか」になったと説いている。 『播州名所巡覧図絵』には、「和坂村、王子札場より八丁余にて、此間を横小路といふ故、蟹が坂といふなるべし。」とあり、横に歩くことから蟹の字が当てられたとしている。 その他にも、明石川の氾濫原による土砂の地「かに」からとする説、良質の埴(はに=埴輪や甕作りに用いられる粘土)が採れた事から「埴(はに)が坂」が語源だとする説、また、曲がりくねった地形を表す「峡(かい)」からきたとも言われる。 明石市林崎町の大字として和坂(かにがさか)の名が残っていたが、難読という理由から昭和45年(1970)の住居表示改正で和坂(かにがさか)、和坂(わさか)1~3丁目、和坂稲荷(わさかいなり)となった。 #妖怪 #大蟹 #狐 #弘法大師 #塚 #寺院 #明石名勝古事談 |