や つ め い た ち
八つ目鼬


八つ目鼬 イラスト:寝子様 平安時代の天喜2年(1054)頃、今の兵庫県姫路市北条の北条天満神社から飾磨区三宅の八の宮天満神社の辺りまでは鬱蒼とした竹薮が続いていた。
何時の頃からかこの竹薮には化け物が棲み付くようになっていた。
来る年も来る年もこの化け物によって村の田畑が荒され、困り果てた村人達はこれはきっと氏神さまのお怒りに違いないと、村人総出で氏神に参りご託宣をあおぐ事となった。神前で一心不乱に村人達が祈っているとにわかに空は掻き曇り、ご託宣が聞こえてきた。
それは、毎年村の中より総領(嫡子、長男)の子を選び、その子供と共に餅米の糠二斗四升(約 3.6㎏)を添えて神前に供えよとのことであった。
以来、毎年総領の家に白羽の矢が射立てられた(一説には、籤(くじ)により選ばれたともいう)。選ばれた家の者は、翌年の1月10日、泣く泣く神殿に子供と餅米の糠を供え続けた。すると田畑を荒されることは無くなった。しかし、1年でもこの人身御供を怠るとたちまちのうちに田畑は悉く荒されたという。
そんなある年のこと、悲嘆に暮れるこの村に諸国行脚中の三野(みの)という一人の虚無僧が訪れた。三野は村人の苦しみを知り、そもそも人を加護するはずの神仏が人身御供とは甚だ奇怪なり、これこそは妖怪変化の仕業に違いないと、弓と矢を携えて自らが人身御供となり神殿に供えられた。
はたして化け物は人身御供を喰らおうと現れた。そこで三野は弓に矢をつがえると化け物目掛けて大きく引き絞った弓より矢を放つ。化け物も負けじと三野に襲い掛かる。三野と化け物の戦いは数時間に及んだという。そして、遂に三野はこの化け物を見事退治した。
村人が恐る恐る駆け付けてみると、そこには傷だらけになった魔物が横たわっていた。それは、爛爛(らんらん)とした大きな八つの目を持った数百年の齢を経た大きな鼬(イタチ)であったという。
虚無僧塚 村人達の喜びはことのほかで、村を救った三野にこの地に留まることを願い出て正覚院という寺に住まわせたという。後、三野が天寿を全うすると人々は天満神社の南にある虚無僧山に手厚く葬り、塚(三野塚)をこしらえたという。

明治の終わり頃までは、籤(くじ)で男女を決めて神に詣でる「御当」(おとう)と言われる人身御供になぞらえた神事が虚無僧山の三野塚で行われていたが、戦争等でそれも絶え、いつしか塚も無くなっていったという。
昭和51年(1976)10月に天満宮建立委員会、天満宮総代、天満宮世話役らの人々によって虚無僧山に塚跡が建てられ、また、天満神社の鳥居前にこの塚を移し、由来を記した虚無僧塚(三野塚)の碑が建立された。

姫路市飾磨区三宅の八の宮天満神社にも同様の伝説が伝わっている。

2023.04.23 寝子様(@nekoippaineru)に「八つ目鼬」を描いて頂きました。(2023.04.24 掲載)
この場をお借りして、お礼申し上げます。

伝 承 地 : 兵庫県姫路市北条宮の町369-1 北条天満神社
伝 承 地 : 兵庫県姫路市飾磨区三宅字貝殻塚 八の宮天満神社
虚無僧塚 : 兵庫県姫路市北条 北条天満神社境内

参考資料 : “郷土の民話”東播地区編集委員会編. 郷土の民話 東播編. 兵庫県学校厚生会, 1971
虚無僧塚 碑文(天満宮建立委員長 中塚 勇、天満宮宮総代代表 尾上宇市、天満宮世話役代表 尾上徳次 昭和51年10月 設置)(敬称略)

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