よ っ た り こ ぞ う
四人小僧

~ 野野大神社 ~


野野大神社 加古川市の東端、印南野の中でも早くから四家族によって開かれたという野村(兵庫県加古郡稲美町野村)。
かつては隣村へ通じる一本の山道が続いているだけで、山道の両側は一抱えもあるような大木が覆い被さるように茂っているという寂しい山の中の村だった。
そんな寂しい山道に、いつの頃からか四人小僧(よったりこぞう)という化け物が現れては道行く人々を驚かしていた。
夕暮れ時にこの山道を通ると、突然目の前に4人の小坊主(白装束を纏った異形の者ともいう)が並び、村人の行く手を遮るのだという。昼なお暗い山道で、突然小坊主がずらりと4人も並ばれたのではたまったものではない。出くわした村人はほうほうの体で村へと逃げ帰っていった。
この四人の小坊主の正体はこの村の近くに棲んでいる4匹の古狸の仕業らしい。人の往来の少ない静かな山の中の村で退屈を持て余していた古狸達は、たまに山道を通る村人を化かしては退屈を紛らわしていたのだ。
しかし、中には肝の据わった者もいて、ある老人などは化け狸に出会っても木の根元に腰を降ろすと煙管を取り出して一服し始めた。そして、やおらその煙草の煙を化け狸に吹きかけた。これにはさすがの化け狸もたまらず一目散に逃げ出してしまった。
当時の人々は「狐は美しいお嫁さんに、狸はたいてい坊主に化ける」と教えられており、また、それらに出会った時にどうずればよいかも教えられていたのだという。
野野大神社の勅額 そこで一計を案じた古狸達は、このままやられっぱなしでは腹の虫が治まらないと4匹一緒に化ける事を思いついたのだという。
さて、こんな事があって以来、日が暮れ始めるとこの四人小僧を恐れて誰一人としてこの山道を行く者はなくなった。
すっかり人の往来の途絶えた野村の人々は、そこに小祠を建て、日のあるうちに季節の物を供えこの化け物(古狸)を慰めたという。

それから幾つもの時代が過ぎ、大木は枯れ、山々は切り拓かれ、いつしか人々の心から四人小僧も忘れ去られていった。
かつての山の中の一本道は舗装され、今は車が絶えることなく行き交う道となっている。その道路に面した雑木林の中には、今も「野野大神社」の小祠がひっそりと佇んでいる。

『郷土の民話 東播編』によると、野村はその昔、4家族によって開拓されたことに始まるいわれ、生活が安定しはじめた頃、この4家族が山の中の切り拓いて小さなお宮を建立。雨の日など4人の戸主達がここに集まり、日々の暮らし、これからの村づくりについて時に夜遅くまで語り合っていた。そんな4人が揃って夕暮れの山道を家路に向かっているところをたまたま出会った旅人が驚いて化け物と見誤り、そのことを恐ろしげに人々に話したことからこの四人小僧の話が出来たのではないかと述べている。

近年、有志によって鳥居脇に由緒を記した石碑が建てられた。

以下、由緒碑碑文より。

野々大神社「四人講祷」

言い伝えによれば我々の先祖は、奈良時代より公家として長く奈良に居住していました。
しかし遷都による奈良地方の凋落や武家の隆盛等の変遷が続き、動乱の南北朝時代に入って行ったのですが、先祖は南朝方であったために冷遇され、西暦一三六〇年頃、やむなく伝手を頼りに寺社や貴族の荘園、或いは守護大名の既存領地を避けてこの地に移り住みました。
当時、この地は水源が無く荒れ野原でしたが、その中に一筋の湧水を見つけ、この水を利用して原野を開墾し、野村を開きました。
この時、一門の繁栄を祈願し、一致団結を誓い合う守護神として「野々大神社」をお祀りしたのが始まりです。
農村の四家「四人講祷」は、馬田氏、八代醍氏、厚見氏、友永氏で紋所「環木瓜中一」を同じくし、四家の男子相続人で村内在住者のみに祷員となる資格が与えられていました。
しかし厳しい規定により祷員が減少し続けたため、昭和二十年代に「全祷員の承認を得ればこの限りではない」と緩和されました。 今も、毎年一月と九月に村の繁栄と安全を祈願し、祭礼を行っております。

「四人小僧」という昔話が加古川市の民話集に紹介されています。


野野大神社:兵庫県加古郡稲美町野村

参考資料 : “郷土の民話”東播地区編集委員会編. 郷土の民話 東播編. 兵庫県学校厚生会, 1971
ビジュアルブックス編集委員会編. 今はむかし、伝説紀行 ビジュアル・ブックス 6. 神戸新聞総合出版センター, 2004
野々大神社由緒碑 碑文 ほか

2021.02.12 再編集

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