
天正6年(1578)9月、織田信長の命を受けた明智光秀は第二次丹波攻めを進める中で、波多野秀治の拠る丹波の八上城(兵庫県丹波篠山市八上上字高城山)を包囲した。
しかし天然の要害を誇る八上城は光秀と一進一退の攻防を繰り返す。光秀は八上城の周囲に堀や柵を何重も設け、厳重な包囲を築いた。これにより、9月頃から進められていた八上城への包囲体制がほぼ完成し、徹底した兵糧攻めが行われることとなった。
『摂陽群談』、『丹波志』によると、この時、摂津方面から密かに八上城に兵糧が送られていたといわれ、三田の松林寺(三田市下青野)や虚空蔵寺(同市藍本)がこれに加担していたと伝えられる。その事を知った光秀はこれらの寺の僧侶を一人残らず捕らえ、寺もろとも焼き払ってしまった。江戸期に記された地誌に「明智内通ヲ知テ当院ニ放火ス」と記されている。
それから随分と時を経たある日の事。
播磨の宍粟(現 兵庫県宍粟市)の樵(きこり)数人がかつて松林寺のあった松林寺谷で伐採した木を馬に引かせ運び出そうとしていた。
すると谷の奥から美しい一人の娘が現れた。その娘はこれまで見た事の無い、玉虫の様に七色に光る美しい着物を着ていた。
樵達はこんな山奥に着物を着た娘がいることを不思議に思いつつも、その娘の着物のあまりの美しさに見とれていた。すると「ザーザーザザー」という引き摺るような奇妙な音とともに娘がこちらに近づいて来た。辺りには強烈な生臭さが立ち込める。
繋いでいた馬が何かに怯えるようにいななき暴れ出した。樵達はただならぬ雰囲気にあわてて馬の手綱を引き、逃げるようにその場を離れようと急いだ。
娘は逃げる樵達を追ってきたかと思うと、樵達を追い越し大きな岩の上に立って振り返る。
その顔には目も鼻も口も無く、顎の先からは蛇のような細く長い舌をチロチロと出していた。明智光秀に殺された多くの僧侶達の亡霊が集り巨大な化け蛇がずんべらぼう(のっぺらぼう)の姿で現れたのだという。
樵達は大いに驚き、運んでいた木をその場に放り出し、馬にしがみつくようにして命からがら山を駆け下りた。転がるように村に辿り着いた樵達は震えが止まらぬまま「ずんべらぼうが出た!」と村の人々に松林寺谷であった出来事をふれて回った。
その話は麓の村々に伝わり、それ以来松林寺谷近づく者はいなくなったという。
2023年の正月、三田市発行の「三田市遺跡地図」を参照しながら松林寺址を訪ねる。
県道309号福住三田線を走り、大門池の近くの交差点を北上する。交差点傍の山裾には石棺材のような大きな石に舟形光背を彫りくぼめ、右手に錫杖を持つ地蔵立像が浮き彫りにされている。往来の安全を見守る地蔵尊も往時の松林寺に関連するものかもしれない。
県道を逸れ、下青野の集落に向かうように進んで行くと埋立処分地か何かの施設の建設予定地のような所が見えてくる。この山裾一帯に松林寺があった。
松林寺址には石垣や瓦が散在しているらしいが、雑木と雑草に覆われ道らしい道も見当たらない。車道から山に入れそうな所を見付け、落葉を踏みしめ、草と木々を掻き分け、倒木を越えて山の中へと進んで行く。誰も訪れる事も無いのだろう、辛うじて道と思える道も落ち葉が積もり、油断すれば滑りそうだ。
しばらく進んで行くと自然の石が積み重なったとも、人工の石垣とも思える石積みがあり、そこからさらに進むと幾つかの大きな削平地が見受けられた。おそらくはここに寺坊が建っていたものと思われる。山頂に向かって数段の削平地が階段状に続いている。行けども行けども同じような光景が続く。
こんな山の中で日没になっては大変なので、ある程度登ったところで来た道を引き返す。
石垣らしきものと数段の削平地が確認出来ただけでも収穫だと思う。
松林寺址側にある大門池はその名前が示すように、松林寺の総門(表門)がこの辺りにあったものと思われる。
明智光秀により松林寺が焼き討ちに遭った時、一人の僧侶が燃え盛る本堂から本尊(観音像)を背負って運び出し、この大門池に沈めたという伝説がある。
人の背丈とほぼ同じくらいあるこの本尊は奈良の長谷寺の観音像の末木を使って、同じ仏師によって一木彫りされた聖観世音菩薩像と伝えられ、現在は1キロほど離れた末(すえ、三田市末)の公会堂に「はらいた観音」(末の観音様)として祀られている。
はらいた観音という名前は、大門池で魚を取ったり泳いだりするときまって腹痛を起こすからとか、池の底に沈んでいた観音様を知らずに踏み台にして遊んでいた子供が腹痛を起こしたからと言われ、これらの出来事を不思議に思った村人が池の底をさらって引き揚げてお祀りしたためこのように呼ばれるようになったという。また、観音様の中に金が隠されていると思った若者が観音様を壊そうとして腹痛を起こしたという話も伝わっている。
松林寺址から北西に1.3キロほど離れた下青野(三田市下青野)に鎮座する下青野感神社(しもあおの かんじんじゃ)に祀られている毘沙門天像(総高約1.5メートル)も松林寺に祀られていたものと伝え、焼失を免れ廃寺となった松林寺の境内に安置されていたが、寺荒らしから守るため明治初期になって住民らが管理する感神社に移されたと伝えられる。
| 松林寺址 | : 兵庫県三田市下青野字円花 ほか |
| 大 門 池 | : 兵庫県三田市北浦字大門 |
| はらいた観音 | : 兵庫県三田市末 |
| 下青野感神社 | : 兵庫県三田市下青野 |
| 参考資料 : | 三田市編著. 三田市遺跡地図. 三田市, 2019 |
| 新編「三田の民話」編集委員会編. 三田の民話100選(下). 三田市, 2009 ほか |
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