(六地蔵・宝暦五年多尊石仏)
志染(しじみ)川にかかる窟屋(いわや)大橋の少し南、一段高くなったところの田んぼの中に僅かばかり木々の茂った一角がある。そこに「どっこいさん」は鎮座していた。こんもりとした土盛を背に、大きな石があり、そこにビンを六つ並べたように六地蔵が刻まれていた。昭和36年(1961)に刊行された『みなぎの通信』創刊号によると、この石の大きさは、高さ1m30cm、幅1m65cm、厚さ55cmの自然石で、その表面に35体の小座像と下部に六地蔵が刻まれているとある。背後の土盛はどうやら横穴式円墳の跡らしく、どっこいさんはこの古墳の天井石か蓋石だったようだ。 近よってよく見ると、確かにこの石の上部に7体、9体、9体、10体の計35体の小座像が4段に並べて刻まれており、その下にビンを六つ並べたような六地蔵が刻まれている。 残念なことに、上部の小座像は刻みが薄いうえ、この石が当地方に多く見られる砂岩ということもあり、風化が激しく今となってははっきりとは分からない。下部の六地蔵は今もはっきりと残っており、中には宝珠持錫のものも見受けられ、六地蔵の右には「宝暦五年(1755)二月十六日」の銘がある。また、左にも文字が刻まれているが摩滅して読む事が出来なかった。
この「どっこいさん」という不思議な名前の由来については定かではないが、道陸(どうろく)さん(道陸神、道祖神の一種)が訛って「どっこいさん」になったのではないかと言われている。 伝説によると縮見屯倉(しじみのみやけ、皇室の直轄地)がここにあったともいい、皇位争いの難を逃れるために播磨国縮見山(しじみやま)の石室に隠れていた億計(おけ)天皇(後の仁賢天皇)、弘計(をけ)天皇(後の顕宗天皇)の遺跡とも伝えられる。
兵庫県道83号平野三木線の拡張工事に伴い、現在は600mほど南の兵庫県立三木総合防災公園内に背後の横穴式円墳とともに移設されている。
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