
NHKドラマ『夢千代日記』のロケ地として知られる湯村温泉。その温泉街の北東の山裾に八幡神社が鎮座している。創建年代は不詳ながら、今から約千年ほど前と考えられ、京都石清水八幡宮の但馬国勝楽寺別宮として御奉祀された。但馬国七宮の一社に数えられ、古来より官民の尊崇を集めている。
鳥居を潜り、石段を上ると拝殿の右手、境内の隅に基壇様の一段高くなった所に、平石とブロック状の石を五段に積み重ねた高さ4mほどの層塔が立っている。最上部には宝篋印塔の相輪(一番上の部分)と思われるものが乗せられている。
造立された年代は詳らかではないが、現地解説板によると文化13年丙子(1816)に再建立されたとの記録
(注1.)が残っており、古書
(注2.)には「日本三古塔の一也」と記されているとある。
「日本三古塔」が何れの事を言っているのかは定かではないが、滋賀県東近江市の阿育王山石塔寺(あしょかおうざん いしどうじ)にある「伝 阿育王塔」(でん あしょかおうとう)と称される石造層塔(国重要文化財)が石造層塔としては日本最古、最大とされ、奈良時代前期(8世紀前半)ごろに造立されたという伝承がある。
(注3.)
八幡神社の社伝によると、その昔、萬度の法華経を読み、その祭器を地中に納めその上にこの石塔を建立したと伝えられている。これは、日本各地に残る経塚の類ではないかと思われる。
経塚とは、法華経を中心とする仏教経典を「経筒」と呼ばれる銅製の容器などに入れて地中に埋めた塚のことをいう。
平安時代中期ごろ、仏法が衰え戦乱の世になるという「末法思想」が人々の間に流行し、寺や仏像を造ったり、釈迦の入滅後、弥勒仏が現れるまで経典を後世に伝えるために地中に保存することで仏法の再興を願うという行為が盛んになっていった。やがて、経塚を作るという行為は死者の追善供養や現世利益などを願うものに姿を変え、近世にかけてまで行われた。
経塚はほぼ日本全土に分布し、それらの多くは当時霊地や霊山として信仰の対象となっていた場所に作られていることが多い。
その昔、この石塔はここより南西に100mほど離れた薬師堂
の近傍に在ったと伝えられ、その後、八幡神社境内に移されたという。昭和63年の秋、更に現在の場所に移転建立されている。
地元ではこの石塔を「いぼ神様」や「千年釜」とも呼ばれているそうで、“いぼ取り”に霊験あらたかと言われ、体の「いぼ」とこの石塔を割り箸で橋渡しをするようにつなぎ、「いぼいぼ渡れ、この橋渡れ」と三度唱えるとどのような「いぼ」も消えて無くなると言われている。
「箸」と「橋」の読みが同じであることから、橋に見立てた箸を渡っていぼが石塔に移って行く(=いぼが消える)ようにと祈願したのだろう。
同じ様な俗信として、『東北文教大学短期大学部民話研究センター 民話アーカイブ』の「安楽城(注4.)の伝承(一) -佐藤陸三さんの語り-」に収録されている「第三部 わらべうた」の「子どもの呪文唄」の中に、箸を橋に見立てて眼病を取り除くまじないの話が載っている。
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昔、囲炉裏に絶さず薪をもやしていた頃は、トラコーマ(注5.)が雪国の風土病とされた。患らって目縁を赤くただらせている子は、「赤目メョ」とか「メッケ」とか言って冷(ひ)やかされ、気の毒に、遊び仲間からも敬遠される。
○ メッケ ツッツ おれちゃ感染(うつ)んな ツッ ツッ ツー
三度唾を吐きかけて疫病神を祓ってからでないと、仲間にまぜてくれない。もしかかった時には「メッケ追い」という呪いをする。これは赤飯を炊いて、おぼこ形(注6.)に握り、まぶたをこすった穴あき銭と一緒にサンダワラ(注7.)にのせ、それに芋殻(注8.)の箸を一本そえて、部落端れの人形立て場に納めてくる。箸は橋にも通じ、それを渡って、メッケは消えてしまえと祈る。
○ メッケ メッケ この一本はし渡って つん抜げろ つん抜げろ
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但馬の地域情報誌『T2』の「裏路地探険・湯けむりたちのぼる町<新温泉町湯>(Vol.31/1998年3月発行)」に掲載された絵地図の「五輪の塔・イボ神様」の説明には「石にイボのようなぼつぼつがある」とあり、この石の表面のぼつぼつの様子からいぼ取りの信仰が起こったのかも知れない。
いぼ神様(五輪の石塔) : 兵庫県美方郡新温泉町湯1581 八幡神社境内
注1. 詳細不明、要出典。
注2. 詳細不明、要出典。
注3. 余談になるが、石造五輪塔として最古のものは平泉の中尊寺金色堂の裏山、中尊寺釈尊院墓地にある「釈尊院五輪塔」で、安時代後期の仁安4年(1169)の刻銘がある。
次に古いものは大分県臼杵市中尾にある「中尾五輪塔」(聖塔(ひじりとう)、日吉塔)(特別史跡・重要文化財)で、二基の五輪塔それぞれに平安後期の嘉応二年(1170)、嘉応二年(1170)の刻銘があり、在銘のものとしては日本で2番目と3番目に古い石造五輪塔とされている。
文献上では、平安時代の公家、平信範の日記『兵範記』の仁安2年(1167)7月27日の条に近衛基実の遺骨を木幡浄妙寺に埋葬し、その上に五輪石塔を建立した(「先穿穴(中略)次奉殯穴底(中略)次埋土、其上五輪石塔」)と記されているが、現段階では所在は確認されていない。
注4. 安楽城村(あらきむら)は山形県最上郡にあった村。現在の真室川町の西半、鮭川上流域にあたる。
注5. クラミジア・トラコマティスといわれる真性細菌の感染によって起こる結膜炎。
注6. 山形弁で子供のことを「おぼこ」という。子供の形の意か。
注7. 桟俵(さんだわら)とは米をつめる俵の両端の蓋として、また、俵の形を整えるために使う、藁で丸く編んだ直径30センチほどの円形の蓋。「疱瘡(ほうそう)送り」や「神送り」に使われる藁座と同様の形であることから、「疱瘡送り」の時にこれ(桟俵)に赤い御幣、赤飯、甘酒などを添えて川へ流したり、道の四つ辻へ捨てたりする地方もある。
注8. 苧殻(おがら)とは麻の茎を剥いで内部を乾燥させたもの。麻幹(あさがら)。
2024.01.30 加筆再編集