わ  ち
和 池


和池発祥之地 美方郡村岡町和池(現 美方郡香美町村岡区和池)の農道の脇、民家の庭先のような所に「斑狐之岩 和池発祥之地」と刻まれた石標とともに大きな岩がある。
この大岩には和池集落の起こりにまつわる次のような伝説が伝わっている。

人皇37代孝徳天皇の第三皇子、表米親王(ひょうまいしんのう、うわよねしんのう、日下部表米)の次男に従八位下朝来大領(あさごたいりょう)荒嶋宿禰(あらしまのすくね)という者ものがあり、荒嶋には治長という子が居た。
この冶長は、後に成人し西殿石見守冶長と称した。
人皇45代聖武天皇の御世(724~749?)、治長は誤って天皇に矢を射た罪で紀伊国熊野郡(現在の和歌山県南部と三重県南部)より配流されることとなる。この時、道案内にと召し連れていた斑狐(まだらぎつね)がこの岩の上に座り、「此処は仏法繁昌の地」とうなずいた。そこで、冶長は柴にて一庵を結い此処に住む事とした。
それがこの集落の起こりと伝え、後に「和池」と称するようになったという。
冶長が庵を結んだ場所が現在の安養寺と伝え、入口側にある稲荷神社は斑狐と治長を祀っていると伝える。
和池集落には「西」の字が付く姓が多く、西殿と呼ばれた治長に由来するのではないかと考えられている。

尚、この大岩は以前からここにあったものではなく、圃場整備により現在地に移された物である。

伝 承 地:兵庫県美方郡香美町村岡区和池 
斑狐之岩:兵庫県美方郡香美町村岡区和池
安 養 寺:兵庫県美方郡香美町村岡区和池78-1


参考資料:斑狐之岩 和池発祥之地 碑文 ほか