せ い め い づ か
晴 明 塚

(尾張国新居屋郷)


甚目寺の晴明塚 新居屋郷に「清明」(晴明ではない)という土地があり、そこの田の中に晴明塚がある。
今でこそ周辺には家が建っているが、新道が出来るまでは人家もまばらで、田の中にぽつんと塚があったと聞いた。
小さな塚の前には「晴明塚」の碑と共に桜に似た大木が一本生えている。地元ではこの木を「よの木」(注1.)と呼んでいる。

その昔、年安部晴明がこの地を通った時のこと、農夫達が田に生い茂るハグサ(注2.)に困っていたのを見て、ハグサを取り除く祈祷を行った。すると、田に生い茂ったハグサだけが枯れ、以来、この辺りの田には二度とハグサが生えてくる事はなかった。
ハグサは同じイネ科の植物で、草姿が稲と似ているためハグサだけを選んで抜き取ることは苦労のいることだった。
この時、晴明が行った祈祷について、『張州府誌』には晴明が「符」を書いて雑草(ハグサ)を取り除いた(符呪)とあり、『尾張志』には「幻術」を用いて取り除いたとある。
『平成30年第2回蟹江町議会定例会会議録』の中に「甚目寺町に寛和元年、985年、晴明が訪れたという記録もあり(注3.)」とあり、晴明が祈祷を行ったのもこの頃の事と思われる。晴明は延喜21年(921)の生まれとされているので、晴明が甚目寺を訪れたのは64歳の時であった。
晴明の死後、土地の人々はその遺徳を偲び塚を築き、地名(字名)を「清明」とした。それがこの新居屋の晴明塚という。
塚の前に建てられている清明塚の碑は、昭和59年(1984)4月に新居屋土地改良区により建てられたもので、背面には、

昔安部(ママ)晴明がここを通ったとき田の中に雑草が多くて農民が苦しんでいるのを聞いてその害を除くため祈祷した跡と言い伝えられる
新居屋土地改良区 昭和五九年四月

と記されている。

この辺りは「清明遺跡」と呼ばれる遺跡があり、弥生時代から鎌倉時代にかけての遺物が多数出土している。
これらの出土物は、甚目寺町歴史民俗資料館に収蔵展示されている。

晴明塚 : 愛知県あま市甚目寺(じもくじ)町大字新居屋字清明19-1

注1. 榎(えのき)を「よの木」と呼ぶことがあるが、榎は桜には似ていないので何の木なのかは不明。
榎を「よの木」と呼ぶのには次の様な逸話がある。
その昔、徳川家康が総奉行、大久保長安に「街道は松原ばかりで旅人が退屈してしまうので、一里塚には余の木(よのき、他の木=松以外の木)を植えるように」と命じたのを、長安が「よのき」を「えのき」と聞き誤り、一里塚に榎(えのき)を植えさせたという。
また、同じ内容で、三代将軍徳川家光が命じ、某大炊頭が高齢であったため耳が遠く「よのき」を「えのき」と聞き誤まったという話もある。
注2. 莠(はぐさ)。水田等に生える雑草。エノコログサ、オヒシバ、メシヒバ、スズメノカタビラ、スズメノテッポウ、スズメノヒエなど。
これらはイネ科の植物であることから、草姿が稲と似ているためハグサだけを選んで抜き取ることは苦労がいり、真夏の渇水期にはこれらを完全に取り除こうとすると、稲の根を傷めるために注意が必要だった。
注3. 詳細不明、要出典。


参考資料 : 晴明塚碑文(新居屋土地改良区 昭和59年4月 建之)
『安倍晴明読本』 豊嶋泰國 著 原書房 発行(1999)
『特別展 陰陽師 安倍晴明 図録』 安城市歴史博物館 編 安城市歴史博物館 発行(2017)
『平成30年第2回蟹江町議会定例会会議録』 愛知県蟹江町


  2024.03.28 ジオシティーズ掲載分を加筆再編集して新規掲載