|
大阪の街は水運に支えられ、経済と文化の中心的都市として発展、明治の頃には「水の都」と呼ばれていた。そんな古くより人々の生活に水が深く関わってきた町だが、個人的には大阪市内に限って言うと河童に関する話はそれほど多く残されていないように思う。
上方では河童のことを「ガタロ」という。これは「河太郎」(カワタロウ)が訛ったものと言われている。 19世紀になり、文化の中心が江戸へと完全に移行すると、東国の方言であった「河童」(カッパ)が標準的な呼び名となって行った。 大坂市内では、東横堀川が湾曲する「本町の曲がり」(本町橋と農人橋の間)や生國魂神社の門前町にガタロがいたと言われている。
あまり河童の話を聞かない大阪市内だが、茶臼山(天王寺公園)の河底池には河童が出るという話がある。
延暦7年(788)に和気清麻呂が排水と水運のために上町台地を開削して大和川や河内湖の水を大阪湾に流す治水工事を行ったが頓挫、河底池はその跡と言われている。この故事に倣い、池に架かる橋には「和氣橋」という名前が付けられている。
#妖怪 #河童 #大阪府 |